平成24年度 インターンシップ活動報告

平成24年2月から、3名のインターンシップ生が参加しています。

それぞれが高槻市の施設を訪れた際に感じたことを報告してくれました。

      

しろあと歴史館

 

 29日にしろあと歴史館を見学させていただきました。高槻城三の丸跡に建つしろあと歴史館は主に江戸時代の高槻を題材として資料だけでなく模型、映像等でも紹介されています。そのため小さなお子さんでも楽しく歴史にふれあえます。


右の写真は歴史館の近所にある教会の石像です。この方は高槻では有名な高槻城主でキリシタン大名の高山右近です。彼は日本を離れフィリピンのマニラ市でその生涯を閉じたことから、高槻市ではマニラ市を海外姉妹都市の一つとして交流を深めているそうです。まさしく彼が二つの都市の橋渡しとなったわけです。しろあと歴史館で実際の文化財を目の当たりにし時に肌で感じることで時間の尊さ、先代の知恵に感動させられました。しかし高槻市には歴史資源が多く眠っていることから、建設などの際に文化財を保護する側と建設推進派とで衝突してしまうという深刻なそれでいて贅沢な課題があります。どうすれば、両者が納得する街づくりができるのか私たちも真剣に考えさせられました。

関西大学 法学部 1回生 K.I.



ここでは高槻市の歴史が紹介されており、高槻城の城壁を復元したものから、昔の人々が使っていた道具、高槻という町の成り立ちの様子が展示されていました。高槻市は京都と大阪のちょうど中間点にあり、そこを繋いでいた西国街道を中心に宿場町として栄えました。城下町よりも、むしろ宿場町のほうが活気があり、人々がたくさん住んでいたというお話を聞かせて頂いて、高槻は活気ある町人によって発達した町であり、支えられてきたパワフルな印象を受けました。また、裏方にある、展示物を保存する部屋も紹介して頂きました。ここは展示物をそのままの状態で保管するため、一定の温度と湿度(湿度50%、温度20℃)が保たれており、入ってみると温かく居心地の良い空間となっていました。

実際に武将が着ていた甲冑や身に着けていた武具から、市民から寄贈された昔の人形やおもちゃなど、歴史的に貴重なものがたくさん保存されていました。博物館には、ただたんに歴史的なものを展示するだけではなく、そういったものを保管することで、歴史を後世に残していく役割も担っているのだと感じました。小学校の遠足ではつまらなかった博物館の見学も、今行ってみると、町の歴史を知ることができる充実した時間となりました。  

                                   同志社大学 経済学部 1回生    K.M.   


三島救命救急センター

 

まず、所長さんから救命救急の過酷さ、大変さについて聞かせてもらった。

救命救急ではまず医者やICUの数に対して患者の数が多いことから仕事内容が濃密になることや、以前は行政からの予算が少ないうえでの24時間態勢の仕事だったため(今でも予算は微々たるもの)夜間手当をつけると手術するたびに赤字になるなど、実に深刻な問題が浮き彫りになった。この話を聞いて行政は医療現場のこの事実をどう受け止めており、真剣に考えているのか気になった。 

 

                     関西大学 法学部 1回生 K.I.

 












救急センターは1985年、重篤患者に焦点を絞り、つくられた施設です。

一般の病院が診察できない日や診察してもらえなかった人の受け皿のような役割があります。最大の特徴は、は医師を現場まで連れて行き、その場で一刻も早い治療をしたうえで、患者を搬送するドクター・カーというシステムです。このシステムで社会復帰された方が増えたという確かな実績があります。けれど、これは全国で5つの病院でしか実施されていません。というのも、消防と医師の連携が大切になってくるこの取り組み。お互いがお互いを認め、チームとして協力し合おう、という姿勢がないと実現できません。何気なく救急車の進化版としか思っていなかったため、それは驚きであり、実際にされていらっしゃる三島病院と消防の方々は素晴らしいなと感心しました。現在抱えている問題としては、建物の老朽化、そして民主党政権が病院への補助金を出していることで起きている問題です。補助金で財政に余裕が出てきたため、二次病院が重症患者ばかりを看るようになり、軽傷者や長い期間入院を要する高齢者が受け入れてもらえず、三島病院に来るようになったという、本来の病院の姿からかけ離れた現状があります。医者の理念として、そんなことは起こってほしくありませんが、病院経営を考えると、きれい事ばかり言ってられないのかもしれません。政策だけでは限界がありますが、それでもより善い現状を目指して、考えていかなければならないと感じました。


同志社大学 経済学部 1回生 K.M.  

センターでは、ドクター・カーという、全国でも5箇所しか実施されていないシステムを導入している所の一つである。ドクター・カーというのは、簡単に言えば医師を乗せた救急車のことである。このシステムのおかげで、救命士が施すことに制限があった治療を医師の手で行えるため、心肺停止した患者さんの後々の回復度合いが従来よりだいぶ良くなったとのことだった。このシステムは、消防署と救命センターがお互いに協力して成り立っている。他のところでももっとこのように協力すればより多くの人を救えると思うので、このシステムが高槻から全国に広がっていくとよいと思う。この日は、所長さんや救命士の方から病院や救急車について他にも様々な話を聞かせていただいた。様々なことを感じ、考えられた有意義な見学だった。


                                                             同志社大学 社会学部 1回生 K.T.


芥川小学校 地域安全センター立ち上げ

 

 地域安全センターとは、ここでは高槻警察、高槻教育委員会、芥川連合自治会の3者のもとで小学校を拠点に交通・防犯の2面から子どもたちの安全を守ることが目的の取り組みである。また、交通安全と防犯をテーマにこれらの情報交換の場として設立されました。

地域安全センターの主な内容は

①「掲示板を設置し、地域を取り立てた情報を掲載する」

②「防犯教室を設ける」

③「保護者の見守り活動が持続するよう強化する」の3点である。

 

センターには、「地域の子どもは地域で守る」をスローガンに、掲示板等で子供達を見守るセーフティーボランティアのネットワークをつなげる役割があり、参観日などに保護者に対して防犯教室を行う画期的な取り組みもされる。

 

この安全センター設立の動きは平成23年度から始まり、現在、高槻市小学校43校中、10校で行われています。

 

「防犯教室を設ける」については、防犯教室を行っている年齢層は子供や高齢者が多くその中間層は仕事等の都合により行っている人が少ないことから、 保護者が小学校に比較的集まりやすい参観日等のあとで数十分でも話を聞いてもらおうと設置したものであるそうです。参観後におこなうのであれば、防犯の話を聞くためだけに保護者は新たに都合を合わせる必要性がなくなるのである。柔軟な仕組みであり、またこれをきっかけに保護者が防犯に関心を持ってくれれば、この地域安全センターの位置づけが意味のあるものになるなと感心した。また、見回り時等に使用する旗に関しても以前は「こども110番」だったフレーズが、「子ども見守り中」に変わりキャラクターも愛嬌あるはにたんに変わった。このフレーズの変化には親の意識付けがその目的の一つであるが、個人的には確かに「110番」というフレーズはすでに事件・事故が起こったかのような発想をしてしまい、子どもの安全という観点からは適切な言葉ではなかったなと納得した。   

             

 関西大学 法学部 1回生 K.I.


お話を聞かせて頂き、自分が小学校の頃、毎朝「おはようございます」と声をかけて下さっていた地域の方を思い出します。毎朝毎朝、子どもは地域の宝だと、私達の身を案じて活動してくださっていたのだと思いますと、本当に頭の下がる思いとなります。また、大阪府の問題点として、コミュニティの弱体化が挙げらると思います。こうした取り組みは子供の安全を守るだけではなく、小学校を拠点としたコミュニティづくりとしての一役も担っていくのではないでしょうか。校長先生に、ボランティアに来てもいいと、声を掛けて頂いたので、現場で活動しつつ教育・防犯・安全センターについてもっと知っていきたいです。

 同志社大学 経済学部 1回生 K.M.